■成熟の物差し

 

数年前、台湾の教会を視察した。行き倒れの人、刑務所から出たばかりの人、麻薬中毒患者、それに、親から捨てられた子どもたちが引き取られて共同生活していた。

初代教会の弟子たちの生活はこんな風だったのかなと思った。感心していると、女性の働き人が教えてくださった。人の成熟度は、一緒に暮らす人数で測られる。

集団行動が苦手な僕には、耳の痛い言葉だった。我儘な僕は、すぐに自分の物や時間(実はそれらは主のものだが…)を、自分の思い通りに使いたいと思ってしまう。

ところが、使徒時代の信徒の群れは、「心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。」(使徒4章32節)と記されている。

弟子たちが持ち物すべてを共有できたのは、自分を犠牲にしても隣人の益を求める「神の国の原則」の豊かさを知り、そこに生きていたからだ。

持ち物は、隣人と分けるために、神から預かったものだ。もし、私がそれを自分だけの物だと主張するなら、神はそれを私から取って、物惜しみしない人に預けられる。

 

第1コリント4章7節
あなたには、何か、もらったものでないものがあるのですか。もしもらったのなら、なぜ、もらっていないかのように誇るのですか。